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57の会 FAX通信 vol.148 2020年11月20日 (株)コミュニケーションオフィス57 代表取締役 今津久雄

岐路・・・
 11月10日神戸新聞に、松葉カニのシーズンということから・・・父の記事が掲載されました。インターネットでも載ったらしく色々な方々から情報を得ました・・・没後約30年を経て・・・生家、城崎の観光地と旅館を父と兄で経営(長兄と末弟。年齢差16才)頑強な兄(叔父)は城崎、病弱で戦争も行けなかった弟である父は「観光案内所を大阪に」からと「良き距離感を持ち」経営、かに道楽創業につながります。東京オリンピック・万博(大阪)を控えて好景気に向かっていたとはいえ、父の一大決心だったことは容易に理解できました(当時、私は小学生)父の単身赴任から、母の応援赴任を経て、姉三人の更なる応援赴任。その間、兄と私は城崎に残り、両親の後を引き継いだ親戚と観光地・売店にて同居)そして、私の中学入学を機に兄・私も大阪へ移転・・・御存知道頓堀「かに道楽開店の時」でした。退路を断ち父不退転の決意表明だったのでしょうね。
 人生には「大きな岐路」幾度かはあると思います。その時の選択が正しいか否かは時期を経てでないとわかりません。もし、他の道を選び歩んだとしても「それなりの結果」があったと思います。ただ「不退転の決意」と「その後の行動有って」のことだと思います。どの道も安易に容易に選び過ごしたならば・・・後悔・失敗・愚痴・・・のみになってしまうのではないでしょうか・・・
父の道での大きな岐路は「貧しい家庭」「戦争丙種不合格」(結核)での青春時代(スポーツ不可)終戦後、区長だった兄(叔父)の意向で「区の事業として観光地」を始めたが失敗・・・後今津家で責任を取る方向で観光事業へ・・・となりました。体力的に大きな差のある兄弟、父は叔父とは常に距離感持って共に働いてきました。そして大阪へ・・・となるわけです。1号店(千石船という海鮮店)不振の中「2号店かに道楽本店」の開店は最大の岐路であった思います。後、時代に乗ったように出店を重ねてゆくことになります・・・むろん、その後も数回の岐路・・・はあったと思います。私が大学生の頃でしょうか・・・機会があればまたいつか・・・
追伸・・・
 大塚家具倒産。(創業者とお嬢さんが親子闘争の末、父を追い出し娘が経営ヤマダ電機へ吸収)創業者は「大塚家具を再創業」され経営中・・・私は前職時、創業者様には剣道部を通じて何回か店をご利用いただきました・・・後、剣道部も二つに分かれ微妙な関係になってしまいました。正否は別にして、お父様は剣道部を大事にされていた様子は常々感じ取っていました「家族意識」だったのでしょうね・・・お客様の店!社員のための会社!だったのでしょうね・・・