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東日暮里4-7-2誠道館ビル2階

57の会 FAX通信 vol.173 2023年1月20日 (株)コミュニケーションオフィス57 代表取締役 今津久雄 

父の思い出・・・(2)
 今年もよろしくお願いします!
 道頓堀角に出店当時、東京オリンピックや大阪万博等々で日本の景気は上昇傾向。その中での道頓堀角の物件に出店出来たことは間違いなく、最も大きなチャンスでしたが、私的にはその後の「網元」出店が後の会社発展に大きな影響を与えたと思っています。
 道頓堀角から約4分程度の「三ツ寺通り」の御堂筋西側。風俗的な通りで、地元民も目的外には通らなかった・・・中学生時代一度通ったときに「カツアゲ」にあった通りです・・・先月も述べた通り「店から近い」ということで社員寮に・・・と5階建てのビル購入。テナント入居の「トルコ」(当時はそういう呼称)そのテナントを残し他部階を「飲食店と、城崎・日和山の旅館の案内所を・・・」と、だめなら目的通り社員寮に・・・的な感じだったのでしょうね。本店(道頓堀角)で溢れたお客様をご案内・・・ということを高校生の時バイトしていました。丸坊主の僕がご案内するので、途中逃げられたことはありませんでしたが、先輩バイトは「もういいよ」と、途中逃げられることもしばしば・・・でした。が、2年目の冬シーズンからその「網元」もお待ちができるようになりました・・・10年後その近くに「網元本館」を開店、ともに年商10億円超えをするに至りました。好立地でないところで出店・繁盛・・・にすっかり「自信」を得たのでしょうね・・・立地より「物件条件」だったのでは無いでしょうか・・・東京出店も「赤坂・ミカド前」(当時最大級のクラブ赤坂ミカド前。それ以外のお客様は???の地域。2号店歌舞伎町店。これも夜だけの街の片隅。知らない東京の地域を、青木不動産社長さんとの話だけで出店?でした・・・大阪梅田店も「北新地の西奥」的な位置でした・・・今思えば、よく営業していましたね~~私欲のない父でしたから、出店を従業員とともに楽しんでいたのでしょうね・・・未経験の「自分の子分(的存在の人たち)を城崎から呼び店長や支配人に配置していました・・・そうして、横浜・川崎も青木不動産情報で出店。新潟では地下2階地上9階の不況デパート一棟まで購入、中間階はテナントと上層階、地階はかに料理・いけす料理・中華料理・サウナを直営しました(現在は売却)・・・と出店攻勢は勢い付き、売上も最高期は232億円まで行きまた。
 追伸
 東京では、歌舞伎町店(本館)の2軒隣に、第二次オイルショック時に歌舞伎町店別館を出店。16卓の6時間営業の小さな店でした。階上は私の寮。その時本館の売上を落とさなかったことに信頼を得て?「新宿本店」の開店と相成りました・・これが私の、東京の大きな岐路となりました
以来、テナント出店での「イケイケどんどん」の店舗展開となります・・・